元横綱の輪島大士さんが亡くなりました。プロレスやバラエティ番組でも活躍
元横綱の輪島大士さんが亡くなったとのニュースが入ってきました。
70歳でした。
相撲、プロレス、バラエティ番組でのタレントと様々なステージで人気を博した輪島大士さんを振り返ってみたいと思います。
1 学生相撲の横綱から大相撲の横綱へスピード出世
輪島大士さんは、日本大学時代に2年連続で学生横綱になりました。
そして、日本大学卒業前に大相撲の初土俵を踏みます。
そこから、トントン拍子で出世して、なんと初土俵からわずか3年半で大相撲の横綱になります。
大相撲では、貴ノ花(先日、廃業した元貴乃花親方の父)とのライバル対決も見ものでした。
また、輪島大士さんの大相撲での一番のライバルといえば、北の湖でした。
北の湖との対戦は輪島さんの23勝21敗と勝ち越しております。
当時の北の湖は、本当に強かったので、輪島 ー 北の湖の対戦では、多くの人が輪島を応援していたように思います。
その後、輪島大士さんは親方になりましたが、年寄名跡を担保に入れるという問題が発覚して、廃業することになりました。
なお、この当時はボクシングの輪島功一さんと従兄弟ということだったのですが、これは話題作りのためで、実際は違うそうです。
2 プロレスラーとして激闘を繰り広げる
大相撲を廃業して、一年経たないうちに、輪島大士さんはジャイアント馬場率いる全日本プロレスに入門します。
38才でのプロレス入門だったため、体力的に衰えはありましたが、ゴールデンアームボンバーという必殺技を武器に激闘を繰り広げ、全日本プロレスの観客動員数増、視聴率アップに貢献しました。
特に、天龍源一郎選手との手に汗握る激闘は忘れられません。
3 プロレス引退後は生ダラなどでタレントとして活躍
プロレス引退後は、バラエティ番組などでタレントとして活躍されました。
特に「とんねるずの生でダラダラいかせて!!(生ダラ)」では、輪島大士さんの天然ぶりが受け、人気を博しました。
とんねるずが、輪島さんの個性をうまく引き出していたと思います。
また、アメリカンフットボールの監督にも就任されました。
4 晩年
晩年は、闘病されていたこともあり、あまりメディアではお姿を見かけなくなりました。
声が出なくなってしまったということもあり、お見かけすることがなくなりました。
5 特にプロレス時代の激闘が心に残っています
私にとっての、輪島大士さんはプロレスラーです。
タイガージェットシン、スタンハンセンとの激闘や、天龍源一郎選手との激闘で、倒れても倒れても向かって行く姿に胸を打たれ、勇気をもらっていました。
輪島大士さん、本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。