北尾光司さん死去。高田延彦との死闘。プロレスでも活躍。元横綱双羽黒
大相撲の元横綱双羽黒でプロレスラーとしても活躍した北尾光司さんが2019年2月10日に慢性腎不全で亡くなりました。
55歳の若さでした。
北尾光司さんは大相撲時代、プロレス時代、そして総合格闘家時代と様々なシーンで私に強烈なインパクトを与えてくれました。
私にとって大きな影響を与えてくれた北尾光司さんを振り返ってみたいと思います。
目次
1 大相撲で新人類と呼ばれる
1) 花のサンパチ組として注目される
北尾光司さんは中学卒業後すぐに大相撲に入門しました。
190cmを超える長身ながらも、軽快な身のこなしで入門当初から注目を集めました。
そして、ほどなくして昭和38年生まれに有望な力士が多かったことから、
花のサンパチ組
と呼ばれるようになりました。
花のサンパチ組と呼ばれたメンバーは次の通りです。
- 双羽黒(北尾)
- 北勝海(保志)
- 小錦
- 寺尾
- 琴ヶ梅
- 孝乃富(新日本プロレスなどのリングに上がった安田忠夫)
特に双羽黒、北勝海、小錦は、花のサンパチトリオと呼ばれました。
余談ですが、時期を同じくしてロッテリアが相撲のサンパチトリオにちなんで「サンパチトリオ」というネーミングでハンバーガー、ポテト、ドリンクのセットを売り出したことが話題になりました。
このサンパチセットは、マクドナルドの「サンキューセット」に対抗するものでした。
2) 順調に昇進、新人類と呼ばれる
北尾光司さんは入門後、いくつか騒動はありましたが順調に白星を積み重ね1986年1月に大関になりました。
この頃から、これまでの相撲界にはない自由奔放な行動やパソコンを趣味にしていたこともあって相撲界の新人類と呼ばれるようになりました。
当時の若者の多くは、この北尾光司さんの言動を応援していたような空気を私は感じていました。
相撲界が変わっていくのかなという期待感もありました。
https://t.co/isZDta3MfE
大相撲の元横綱 #双羽黒 の #北尾光司 さんが死去したことが29日分かりました。55歳。全盛期は199センチ約150キロの巨体を生かした寄りと投げが得意で22歳で横綱に昇進。角界を離れた後は、プロレスラーとしてリングにも上がりました。ご冥福をお祈りいたします。(池) pic.twitter.com/H4kytQlqn9— 朝日新聞 映像報道部 (@asahi_photo) March 29, 2019
3) 横綱昇進、廃業
その後、北尾光司さんは横綱に昇進します。
優勝経験が一度もなかったのですが、その素質と将来性を見込んでの横綱昇進でした。
横綱昇進後は優勝争いにも絡みましたが、いずれも当時の大横綱である千代の富士に阻まれる結果となりました。
そして、1987年の年末に北尾光司さんは一躍時の人となります。
なんと所属する相撲部屋内でのいざこざで北尾光司さんは廃業してしまうのです。
これには本当にびっくりしました。
しかし、北尾光司さんは会見で「未練はない」と言い残しあっさり相撲界を去っていったのでした。
2 プロレス転向、高田延彦との一戦
1) 新日本プロレスでプロレス転向
大相撲廃業から2年後の1990年2月10日に北尾光司さんは新日本プロレスの東京ドーム大会でプロレスデビューしました。
対戦相手は巨漢レスラーのクラッシャー・バンバン・ビガロ選手です。
当時の新日本プロレスはストロングスタイル路線であったため、アメリカンプロレススタイルを貫いた北尾光司選手のファンからの評価はあまり高いものではありませんでした。
今であれば、北尾光司選手のファイトスタイルは多くのファンに受け入れられたことでしょう。
その後、新日本プロレスでは現場責任者の長州力さんと対立するなどして契約解除となりました。
2) 天龍源一郎のツテでSWSへ
新日本プロレス契約解除後、しばらくして北尾光司さんは大相撲の先輩である天龍源一郎さんのツテでメガネスーパーのプロレス団体SWSに活躍の場を移しました。
しかし、同じ大相撲出身のジョン・テンタ選手との一戦でトラブルを起こしたことが引き金となってSWSからも去ることになりました。
SWSを去った時点で、北尾光司さんは表舞台から姿を消すのではと感じられました。
3) 高田延彦との一戦
しかし、その後北尾光司さんは総合格闘家への転身を表明し、UWFインターナショナルで山崎一夫選手と対戦しました。
北尾光司さんは体格差を生かして山崎一夫選手に圧勝しました。
そして、いよいよ高田延彦選手との世紀の一戦が「格闘技世界一決定戦」と銘打たれて行われました。
結果は高田延彦選手のハイキックで3RKO勝ちに終わりました。
この試合については、高田延彦選手が引き分けのブックを破ったと言われています。
KOされた北尾光司さんの呆気にとられた表情がとても印象的でした。
3 北尾道場旗揚げ、UFCにも参戦
1) 北尾道場旗揚げ
その後、北尾光司さんは格闘技道場「北尾道場」(後に格闘技塾 武輝道場)を旗揚げしました。
北尾道場出身のレスラーは、
- 岡村隆志選手
- 望月成晃選手
- 多留嘉一選手
などがいます。
試合直前に知りました
北尾さんは引退されてから、プロレス界とはほぼ断絶されていたので、僕もお会いする事はありませんでした
ただ一つ…
間違いなく言えるのは、北尾さんがいなければ、僕はプロレスラーになれなかったという事です心よりご冥福をお祈りいたします
合掌 https://t.co/Na5WA0O7e0— 望月成晃 Masaaki Mochizuki (@mocchy_117) March 29, 2019
2) UFC、PRIDEにも参戦
北尾光司さんは、なんとUFCにも参戦しています。
惜しくも敗戦となりましたが、UFC9に出場しているのです。
また、伝説のヒクソンvs高田延彦戦が行われたPRIDE.1.にも参戦しているのです。
4 まとめ
ややもすると奔放な行動で周囲を驚かせた北尾光司さんですが、日本人離れした体格と格闘技の素質は目を見張るものがあり、格闘技ファンを楽しませてくれました。
そして、北尾光司さんの自由に生きる姿は私にも大きな影響を与えてくれました。
北尾光司さんのご冥福をお祈りいたします。