訃報 マサ斎藤さん 維新軍の参謀や巌流島での決闘、AWA王座獲得など、収監経験も
元プロレスラーのマサ斎藤さんが2018年7月14日にお亡くなりになりました。
75歳でした。
マサ斎藤さんの戦う姿は、以前からワールドプロレスリングでよく観ており、あの厚い胸板から繰り出されるバックドロップなどの大技に毎回驚きを感じていました。
マサ斎藤さんの勇姿を振り返ってみたいと思います。
1 維新軍の参謀として
マサ斎藤さんの存在を初めて知ったのは、新日本プロレスで長州力と合体して維新軍(当初は革命軍)を結成した時です。
維新軍の派手なスタイルに加えて、マサ斎藤さんのレスリングを下地にしたグランドテクニックにプロレスの奥深さを感じました。
マサ斎藤さんは、東京オリンピックに日本代表として出場しており、そのレスリングテクニックは折り紙つきでした。
2 まさかの収監、そして復帰
1) 突然の収監のニュース
その後、しばらくすると、マサ斎藤さんが米国で収監されたというニュースが入ってきました。
あの、紳士的なマサ斎藤さんがなぜと思いましたが、どうやら同じプロレスラーであるケン・パテラ選手の逮捕に巻き込まれたとのことでした。
マサ斎藤さんは、収監を機に肉体改造に取り組んだそうです。
どんな環境でも前に向かっていくという姿勢は、マサ斎藤さんの生き様を表していると思います。
2) 収監からの復帰
1年6ヶ月後、マサ斎藤さんはリングに復帰します。
その復帰戦でマサ斎藤さんは、驚くべき技を私たちの前に見せてくれました。
その技の名前は、
監獄固め
です。
まさに、収監を逆手にとったパフォーマンスで痛快な思いを感じました。
その技自体も、ファンから見ても脱出することが不可能なのではないかというほどのものでした。
3 アントニオ猪木選手との巌流島の戦い
ファンに強烈なインパクトを与えてくれたのが、アントニオ猪木選手との巌流島の戦いです。
この話を聞いた時の最初の印象が、「巌流島って実在するんだ!」というものでした。
武蔵と小次郎の戦いで有名な巌流島ですが、この時に初めて実在するものだということを知りました。
1) 両選手がボートで巌流島に向かう
マサ斎藤さん、アントニオ猪木選手ともに、巌流島にはボートで向かいました。
テレビに映し出されたマサ斎藤さんの、緊迫した表情が忘れられません。
まさに、これから決闘が始まるんだという、緊迫感でした。
2) かがり火が焚かれた中での試合
巌流島での戦いも始まり、日が暮れてくると、かがり火が焚かれました。
夕暮れ時に浮かび上がるかがり火は、とても神秘的な魅力を感じさせてくれるものでした。
その後、試合時間は2時間を超え、アントニオ猪木選手のスリーパーホールドで決着がつきました。
4 東京ドームでAWA王座奪取
1990年2月10日に東京ドームで行われた「’90スーパーファイト IN 闘強導夢」 において、当時のチャンピオンだったラリー・ズビスコ選手を破りAWA世界ヘビー級王座を獲得しました。
大舞台での47歳にて世界王座奪取に、心が震えるほど感動したのを覚えています。
5 解説者に
その後、マサ斎藤さんは第一線を退き、ワールドプロレスリングの解説者になります。
マスクマンを本名で呼んでしまうなど、とてもユーモアのある解説をして、視聴者を楽しませてくれました。
6 闘病
2003年頃には、マサ斎藤さんが闘病しているとの噂がたってきました。
記者会見でうまく言葉が出てこないというようなことがあったからです。
このころから、パーキンソン病を患っていました。
それからは、マサ斎藤さんの情報を聞くことは少なくなってしまいました。
7 ご冥福をお祈りいたします。
収監など、どんなに苦境な時であっても常に前を向いて、「Go for broke」(当たって砕けろ)の精神で突き進んでいたマサ斎藤さん。
私も、とても勇気をいただいていました。
心より、ご冥福をお祈りいたします。