子育ての場面の最後のシーン 子育ても折り返し地点を過ぎ、ふと感じること
私には中学生になる子供がいます。
子育ても折り返し地点を過ぎたのではないかと思っています。
これまでは、仕事以外の時間は、かなりの時間を子育てに費やしていました。
特に、土日、長期休暇、夜などは、かなりの時間を子育てに費やしていました。
小学校3年生ぐらいまでのゴールデンウィークなどは、もう毎日毎日、子供と遊びに出かけていました。
しかし、さすがに中学生ともなるとそのようなことはなくなりました。
おそらく、これが子育ての折り返し地点を過ぎたということだと思います。
子育ての折り返し地点を過ぎて、ふと思うことがあります。
子育てのいろいろな場面での最後のシーンが思い出せないことが多いのです。
最後にミルクをあげたシーンを思い出すことができません。
最後にオムツを替えたシーンを思い出すことができません。
最後に絵本を読み聞かせしたシーンを思い出すことができません。
最後に食事を口元まで運んであげたシーンを思い出すことができません。
最後に寝かしつけをしたシーンを思い出すことができません。
最後にベビーカーで出かけたシーンを思い出すことができません。
最後に着替えをさせてあげたシーンを思い出すことができません。
なぜ、思い出すことができないかというと、これらのことは、これが最後になるとは、その時はわからなかったのです。
単なる日常の一コマが最後のシーンになってしまったのです。
その日常の一コマは、そのときは最後のシーンになるとは思っていなかったのです。
ただ、いくつかの最後のシーンは明確に記憶に残っているのもあります。
保育園の最終登園のシーンは、明確に記憶に残っています。
なんといっても、園長先生の前で号泣してしまいましたので。
最後に自転車に乗せたシーンも、明確に記憶に残っています。
自転車はレンタルしていたものだったので、返却する日に写真をとったのです。
小学生になってからも、最後のシーンを思い出すことができません。
最後に一緒にお風呂に入ったシーンを思い出すことができません。
最後に一緒に公営のプールに行ったシーンを思い出すことができません。
最後に一緒に公園で遊んだシーンを思い出すことができません。
最後に一緒にスイミングスクールに行ったシーンを思い出すことができません。
これらも、その時は単なる日常の一コマであって、これが最後のシーンになるとは、その時は思ってもいなかったのです。
子育ても折り返し地点を過ぎたと言っても、まだ子育ては続きます。
これからは、子供も思春期、反抗期の真っ只中に入り、いろいろなことが起きると思います。
イライラすることも、疲れたとなることも多いでしょう。
喧嘩もすることもたくさんあることでしょう。
でも、それらこれから起こるであろうの日常のシーンは、自分の人生にとって、とっても貴重なシーンなのです。
なにごとにも替え難い貴重なシーンなのです。
この貴重なシーンを心に焼き付けるように一日、一日を丁寧に生きていきたいと思います。