立花孝志さん(N国党)の経歴に驚いた (3)NHK入局から退職まで

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NHKから国民を守る党(N国党)党首 立花孝志さんの経歴に驚いたの連載3回目です。

 

今回は、立花孝志さんの現在を作り上げたと言っても過言ではない、NHK入局から退職までの心が熱くなり、目頭も熱くなるストーリーを紹介します。

 

今の立花孝志さんからすると驚くような、エピソードもあります。

 

では、立花孝志ウォッチャーの私が魂を込めて紹介します。

 

 

1 NHK入局、和歌山に5年3ヶ月、大阪に7年

1) まずはNHK和歌山放送局に配属

1986年4月にNHKに入局した現N国党党首の立花孝志さん。

 

最初の配属先は和歌山放送局でした。

ここでは庶務部で仕事をしていたようです。

和歌山放送局には合計で5年3ヶ月在籍したとのことです。

 

 

2) NHK大阪放送局に異動

その後、1991年7月に立花孝志さんはNHK大阪放送局に移動しました。

 

大阪では経理部に在籍していました。

立花孝志さんがNHK大阪放送局にいた頃に

 広島アジア大会

 阪神淡路大震災

などがあり、立花孝志さんの活躍がNHK内に広く知られるようになりました。

 

NHK大阪放送局には合計7年間勤務したとのことです。

 

 

2 NHK本部(東京)へ

1) 大抜擢でNHK本部報道局(東京)へ異動

NHK大阪放送局での活躍もあって、立花隆さんは1998年に7月にNHK本部報道局(東京)に異動になりました。

 

31歳の時です。

NHK本部報道局は、東大、早稲田、慶応卒のエリートがひしめき合っている部門で高卒の立花さんは非常に珍しい存在でした。

それだけ、大抜擢されたということでしょう。

 

立花孝志さん自身も

 「まさか、NHKの東京の報道局で仕事をするとは思っていなかった。」

と語っています。

 

この時は、NHK本部報道局での仕事が立花隆さんの人生を変えることになるとは予想だにしていなかったことでしょう。

 

 

2) NHK会長主催のパーティーの仕切り役に抜擢

NHK本部報道局の中でも立花孝志さんは大抜擢されます。

当時のNHK会長が主催する「アマチュアスポーツ新春懇親会」の仕切り役を任され、会長とマンツーマンで話すことも多くなったそうです。

 

この仕事は5年間行いましたが、この仕事をすることでNHKの裏側、不正を見ることができたとのことです。

 

 

3) 上司の一言で自分が仕事ができることに気付く

立花孝志さんは、東京に異動後も上記の通り一心不乱に働きました。

そして、35歳に当時の局長から次のような言葉をかけられます。

「お前は、人一倍仕事ができることを自覚しなさい。」

 

この言葉で、立花孝志さんは初めて自分が仕事をできることに気がついたのだそうです。

 

 

3 NHKの先輩に言われた印象に残る言葉

立花孝志さんがNHK在籍中に先輩から言われた言葉で印象に残っている言葉がいくつかあります。

 

このうち2つの言葉を紹介します。

 

1) 「テレビは核兵器に勝る武器である」

NHK時代にとてもよく言われた言葉だったとのことです。

 

テレビは核兵器に勝る武器である

この言葉の意味は、テレビで国民を洗脳することができる、ひいては戦争を仕掛けることさえもできる、ということです。

 

特に、NHKは公共放送として信頼を寄せている人、盲信している人もいると思われますので、洗脳することはたやすいことではないでしょうか。

 

まさに人類最強の武器がテレビなのです。

 

 

2) 「テレビは政治家を簡単に取り替えることができる」

上記の言葉とも関連が深い言葉です。

 

テレビは政治家を簡単に取り替えることができる

テレビで政治家の印象操作をすることはとても簡単です。

過去にテレビが選挙結果に大きな影響を与えたと思われることがいくつもありました。

 

特に、公共放送であるNHKが有権者に与える影響は大きく、この言葉通り政治家を取り替えることは簡単なことでしょう。

 

実際に過去にも政治家を取り替えてしまったことがあったのかもしれません。

 

 

4 NHKの不正経理を内部告発

1) 意を決して内部告発を行う

立花孝志さんはNHKの不正経理の内部告発を行います。

 

2002年のソルトレークシティオリンピックで上司の指示により裏金を作ります。

 

しかし、国民からの受信料で成り立っているNHKに身を置く一人として、徐々に良心の呵責に耐えらなくなってきます。

 

「国民の信頼があって初めて受信料を受け取る資格がある」と立花孝志さんは考えていました。

 

そこで、週刊文春誌上で内部告発を行いました。

 

なお、このころから立花孝志さんは心の病(統合失調症、躁鬱病)にかかっていました。

 

 

2) 怖かった上司や会社からの内容証明での連絡、警告

立花孝志さんが内部告発をしてから、NHKの上司が立花さんのマンションにまで面会を求めに来たことがあったそうです。

 

また、内容証明郵便で警告や面会を求める内容の書面が送られて来たそうです。

 

さらに、その書面には「損害賠償請求を(立花さんに)求める可能性もある」との記載もあったそうです。

 

NHK上司らとの7人対1人での面接もあったそうです。

 

当時を振り返り、立花孝志さんは「怖かったです」と語っています。

 

上司との面談では、上司側の目的は主として ”2度目の内部告発を止める” ということで、上司からは

 お金を払えば内部告発を止めるのか

 理事を変えれば止められるのか

などと聞かれたそうです。

 

当時は正義感だけで動いており、正義を貫いていればNHKの誰かが守ってくれると信じていました。

しかし、誰も立花孝志さんの味方になる人はいなかったそうです。

(唯一、NHKの社内弁護士の方だけ理解を示してくれた)

 

この時のことを、立花孝志さんは

「苦しかった。

 自殺する間際までいっていた。」

と語っています。

そして、

「NHKを壊さないとこの国はおかしくなる。」

との思いになったとのことです。

 

 

3) NHKを退職

それから、停職1ヶ月、出勤停止7日を経て2005年7月31日、立花孝志さんはNHKを退職しました。

 

ちなみに退職金は810万円だったとのことです。

 

 

5 まとめ

立花孝志さんのNHK入局から退職までの19年間を一挙に振り返ってみました。

 

NHK時代の前半、中盤までは絵に描いたように上り調子で進んでいました。

しかし、裏の側面を知ってしまい正義感から心の病にまでなり、結局NHKを退職することになりました。

 

裏の側面に対して自分の正義感をどう重ね合せるか、サラリーマン経験がある人なら程度の違いこそあれ、誰もが直面した出来事だと思います。

 

次回は、NHK退職後の立花孝志さんをみていきたいと思います。

 

 

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